2万回

エッセイ

 半ドンという言葉は死語の一つだろう。

 半ドンの半は、1日を午前と午後に分けた半分を意味する。ドンは、軍隊では正午を知らせる大砲のドーンという音だと、教えられた記憶がある。今ネットでウィキペディアを見たら必ずしもそうではないようだ。

 しかし、ドンは合図の音を表現し、午前の事務の終了を意味する。昼休憩の始まり、つまり昼飯を食い始めるわけだ。

 日曜以外のウィークデイには、ドンは毎日あることになる。これをわざわざ半ドンと呼んで、特別扱いするのには理由がある。半ドンは土曜だけだ。正午以降は仕事や授業を休む扱いだった。

 私が仕事を始めたころは、この半ドンがまだ生きていた。法務局や裁判所を相手にする仕事だったので、基本役所は半ドンを採用していて、土曜は正午から休みになった。

 当時から私は機会があれば酒を飲んだが、まさに半ドンは絶好だった。

 酒を飲むためにわざわざ、身支度をする必要がない。午前中は仕事なのだから、それ相応の格好はしている。職場は繁華街に近く、必然的に酒場、酒が飲める店にも近い。

 あるビジネスホテル1階のレストランは洋食を主に出したが、普段からよく昼食に利用していた。土曜はランチと一緒に黒ビールを注文して飲む。土曜のランチメニューは決まっていて、ミックスブロセットと名付けられたバーベキューだった。

 黒ビールをジョッキに半分ほど一息にあけて、ちょっと大きめのため息をつく。それほど疲れているわけではないが、指先から要らない力が抜けていく。1週間が無事に終わった安堵、つつがなく仕事を済ませた達成感が、心にゆっくり満ちて来る。串焼きの牛肉は美味かったが、料理の味だけではない、シチュエーションの優った昼食だった。

 今はふつうに土曜が全休なので、この半ドンの楽しさを味わおうにも味わえない。また、仕事をしていないので、脳や身体を休める昼休憩も必要ない。

 朝食の流れで昼食を摂取しているだけだ。朝と同じもの、残りものを食べている。

 世界がこのまま続いて、私もまだ生きていて良いのなら、あと何回くらい食事を摂取するのだろう。

 仮に80歳まで生きていても良いのなら、今64歳なので16年ある計算になる。

 1日3食として、3×365×16=17520になる。2万回ない。

 この数字が多いのか少ないのかは、まったくわからない。もしも僥倖に恵まれれば2万に届くこともあるだろう。しかし、恐らく3万には届かない。2万を一応のリミットと考えても、そんなに外れないだろう。

 限りがあるなら俄然惜しくなる。食事に充実がほしい。1食1食が勝負と言える。ぞんざいに扱うわけにはいかないと思えてくる。

 それでも晩飯の充実は、まだたまに実感することがある。飯も酒も美味かったと心ひそかに納得する。しかし、朝飯に得心することはほぼないし、昼飯への賞賛もまずないな。1食1食が勝負と言いながら、酒のない食事にはあまり関心がない。では毎食酒を飲めば良いのかというと、さすがに経済が許さないし、外聞も悪い。2万回と言うリミットを大幅に下回る可能性もあるし……。

 正直に言えば、食べることそのものが楽しいことではなくなっている。年齢のせいで、たくさんは食べられなくなっていることもある。少しで良いし、高価なものも別に要らない。たいていのものの味は、食べなくてもわかると言えばイヤミ、不遜だな。

 本当は食べものを口にできるだけで幸せなのだ。しかし、毎日の食事をありがたいと感じて、感謝しつつ必ず両手を合わせて祈るほど、人間はできていない。

 美味いものを欲しないなら、シチュエーションに充実を求めるしかないかな。

 若いころキャンプをよくしたが、高原の森の中のキャンプ場で食べる朝飯は、とても美味しかった。メニューは主にサンドウィッチだ。たまごサラダやツナサラダ、それにウィンナーソーセージやベーコンを妻が焼く。スライスチーズもつけた。

 そして何より白ワイン。たまにシャブリ、たいていリースリングだった。

 夏だが、朝は涼しい。高原、森、せせらぎの音。食後は軽く朝寝をする。

 実は今、日曜の朝飯は楽しみだ。朝から一日中飲むが、午前6時には始めている。近くのコンビニで酒やツマミを買っていたが、オリジン弁当が午前5時開店と知ってからは、そちらでツマミを調達するようになった。

 鶏レバーの甘煮、ブロッコリーと小エビのマヨネーズ和え、青椒肉絲、イカフライなどなど。早朝からメニューのこの充実には、感謝の踊りをささげたい。これで総額たいてい千円以内だ。一人前だから量も金がさも少なくて済む。

 これらで、偽ビールと呼んでいる第3の発泡酒、麦焼酎の炭酸割、紹興酒たちをやっつける。

 結果、昼まで眠ることになる。

 日曜日はオリジン弁当に行って終わりだ。他はどこにも行かないし何もしない。

 ただ飲んで眠る。目が覚めたらまた飲む。

 それで充実しているのと問われれば、気に入っていますとしか答えられない。

 ざっと2万回と言っているが、1日3食で割ると各食6666回になる。

 666が獣の数字なら、6666は鬼か邪か。節制などしている場合ではない。

 きっと誰よりも何よりも、食べることが好きだった私、いったいどうする。

 そや、俳句つくろか。

 テーブルに並ぶ料理を題材にして。毎食はかなり大変だろう。

 食欲不振になるな。その方が健康には良いかもしれない。

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