流血の8月

 7月が終わろうとする頃かな、背中に違和感があった。

 背骨より1、2センチ左にずれた、ほぼ真ん中で、かろうじて手は届く。

 もちろん自分では見えないが、どうも腫れているようだ。軽い痛みがある。

 しばらく放置していたが、8月半ばに採血の予定があったので、その際に内科医の判断を仰ぐつもりにする。ただこれが何なのかは知っていた。父の背中にあったものと、きっと同じ出来物だ。

 ネットでも調べてみる。粉瘤と書いて、ふんりゅうと読む。腫瘍のようなものだが悪性ではない。汗や皮脂が詰まったお出来なのだ。普通になかは臭い。

 8月16日、採血前、診察室に入るなりシャツをめくる。

「実はちょっと先生に診てもらいたいのですが……」

 後ろを向く。

「ああ粉瘤やね。こんだけ腫れてたら痛いでしょ」

「はい、ちょっと」

「眠れる?」

「はい、わりに大丈夫です」

「これは普通の皮膚科やったらあかんのよ。形成外科と皮膚科のあるとこやないと処置できひんねん」

「どこか紹介してくれませんか?」

「オーケーわかった。紹介状書くから、ちょっと待って。先に採血しといて」

 私自身は診てもらったことのないJR駅前の外科へ。母はこちらでずっと世話になっていた。送り迎えも何度かした。

 当時の先生ではない方が院長のようだ。

 実は局部麻酔は痛かった。思わずうなった。

 私は30年以上痛風患者をやっている。痛みには慣れているつもりだが、やっぱりとても痛い。

 半時間ほどで麻酔は効き始め、先生は処置に入った。粉瘤を5ミリほど切開し、なかみをしぼり出す。

 麻酔は効いているはずだが、そこそこ痛い。先生は丁寧にしぼり出してくれる。後になるほど痛みは強くなる。うなり声を必死にこらえる。辛抱のないジジイとは思われたくないが、我慢にも限界はある。もともと根性はないし。

「うっ」

「痛いですか? ではこのへんで」

 当然入浴は禁止だ。シャワーのみ可能で、濡れたらガーゼの取替を指示される。切開は金曜日だったが、月曜日に一度、診せてくれと言われる。

 結局、切開後受診3回で放免された。自分ではまだかかると思っていたが良かった。痛みもなくなった。

 そして8月31日、T氏と飲みに行く。

 生中のあとマトウダイのものだったか、肝の甘煮とイカサシで日本酒2合飲むも、どんどん酔ってくる。フラフラになったが、家に帰る気持ちはまるで起こらない。

 ラウンジ行きを秘めて、2軒目へ。

 晩酌セットで麦焼酎炭酸割2杯飲むも、それ以上は受けつけない。弱いよわい。ベロベロである。

 ただ、ここを出たときにはラウンジに行くつもりだった。

 信号を渡り終えた時点で、どうにも足が進まなくなった。とても店まで歩けそうにない。

 T氏にどんな風な言い訳をしたのかまったく覚えていないが、家に帰るとは言ったかもしれない。踵を返し南に向かって歩き始める。ヨタヨタと。

 そして、バス停で転ぶ。とても危険だが車道に落ちてしまう。

 さいわい先の信号は赤で、車の通りはなかった。あれば私は轢かれていた。

 今考えても、自分が転んだ理由がまったく解らない。つまずいたような記憶もない。ただアスファルトの上に、倒れ込んだ。

 左顔面は血だらけになっている。左膝からも出血している。

 翌日眼鏡の、プラスティック製レンズが割れていることに気づいた。相当強い衝撃だったのだろう。

 飲むときは靴をはくべきだな。スリッパでは危険だ。

コメント

  1. 出口 より:

    運が良いのではなく、運を引き寄せたのですね。流血はこれぐらいにして、晩酌セットを片手にどんどん作品づくりをお願いします。

    • 銀二郎 より:

       ありがとうございました。
       もともとプロレスは見ませんし、自分が怪我をするのもとても嫌いです。血はコワい。
       ただ何か書くきっかけにはなったかな。前向きに考えます。

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