虚空 1(プロローグ)

 声がする。

 ときには叫びがまざる。男が誰かを呼んでいるようにも聞こえた。

 声の底には怨みを感じ、とても気味が悪い。

 ユーチューブ動画の話をしている。タイトルは『事故物件住んでみた』である。YamaQと名のる人物のブログ系チャンネルである。以下、彼のことはYと呼ぶ。

『事故物件』の物件とは不動産のことで、この動画では1戸建ての家屋になる。

 ここに住んでいた男性が死亡し、発見までに時間を要した。高齢者のひとり住まいには、起こりがちなことといえるかもしれない。

 そのあと家は男性の身内が相続し、不動産会社に売却した。Yはこの会社から賃借し居住している。

 前居住者の死亡は重要事項説明書に明記されているし、Y自身承知していた。

 しかし、居住者死亡をもってただちに事故物件となるわけではないし、不動産業者もかならず死亡の告知義務を負うわけではない。

 この家の場合、黙っていても問題はなかっただろう。

 実は契約には関係なく、起きている現象そのものが『事故物件』らしいといえる。

 誰もいないトイレの扉や便器の蓋、風呂場の扉や浴槽のおおいを、とんとん叩く音がひびく。

 供養するつもりで線香を焚いていたが、その箱が棚から落ちて中身が散らばる。

 供養というのは、そもそも不思議な現象が起きていたからで、それをおさめる意味で、ときおり線香に火をつけていた。

 いわゆるポルターガイスト現象が頻発していた。

 Y自身が撮影し、ときには設置したリモートカメラが、勝手に不思議な現象をとらえた。もちろん自作自演ではないし、つくりものでもヤラセでもない。

 第3者が外から家を撮影した写真にも不思議がうつっている。グーグルアースがたまたまとらえた。1階の風呂場の窓に人影らしきものが見える。

 声の主や人影が死んだ男性なら、それほど問題はないと思われる。

 男性が原因なら相応の供養をすれば、声も人影もなくなり、家のなかの音やものの落下もなくなる気がする。

 いわゆる霊能力者と呼ばれる人や徳の高い僧侶が供養をすれば、死んだ男性は成仏し、現象も起こらなくなるだろう。

 しかし、声は家のなかのことではないし、その他もろもろの不思議も、男性の死が原因ではないと思われる。

 現象に対するYの態度、姿勢はいたって真面目である。面白半分なところは、まったくない。

 金儲けの対象にしたいという、ゲスな意識もまるで感じない。よくいえば子どもがもつような、不思議に対する好奇心、探究心をつよく感じる。

 もちろんYは成人男性である。

 最初は物理的な原因で音が発生し、それが人の叫びに聞こえるのではと考えていた。まずトイレの排水管を疑った。

 しかし、点検調査した水道業者のこたえは問題なしだった。排水管から叫びのような音が発生することも考えられないと断言した。かつてそんな事例は見たことも聞いたこともないという。

 家の向かいは古墳である。古墳と家の間には、乗用車が1台とおれるほどの舗装された道路がある。地域住民のための生活道路であり、声はその道路から聞こえる。

 中央より少し家に寄ったあたりの、何もない空間から流れ出ている。

 残留思念という言葉をYは使っている。それが正しいのかどうかは、まったくわからない。ただYはそう考えているようだ。

 誰かのつよい思いが、肉体をはなれて現象を引き起こしている。

 人は声帯を震わせて声を出す。震わせるのは息の役目である。この何もない空間から聞こえている音が、たしかに人の声ならば、人がいないと声は出ないはずだ。

 しかし、動画には誰もうつらない。ここに人はいない。動物もうつらない。何もない。ただ声だけが記録されている。

 誰かが隠れて声を出し、その声をスピーカーから流しているのなら、スピーカーが動画にはうつるだろう。

 かりに極小のスピーカーを使っても、物が何も存在しないことにはできないはずだ。

 声は何もない空間から聞こえている。

 指向性の強いマイクで録音しているが、マイクの先には何もない。ただの道の上だ。

 背景は古墳の石垣になっている。

 おおむね深夜に現象は起きることが多い。いちど午後9時すぎに記録された動画があったが、冷静なYでさえ、まだ9時すぎですよと驚いていた。

 家のある町には、海神の怒りを鎮めるために、数人の女性が自らすすんで、命をささげたという伝説が残っている。古墳とのつながりはわからないが、近くには彼女らの鎮魂を目的として、造られた公園もある。いわくつきの土地である。

 しかし、都合が良すぎる。

 海が荒れて目的を達成できないから、荒天の原因と思われる海神の、機嫌をとるために人の命をささげるなんて……。

 千年以上昔の話だが、女性たちがいまだに泣き叫んでいるのなら、とても哀れでならない。

 そもそも自らすすんで命をささげたというのは本当なのか。そんな人の良い、都合のよすぎる話は信じられない。

 ただ話は、伝説はそうなっている。

 怨みをもって当然と考えられる行為がなされたから、鎮魂が発想される。鎮魂というからには、それなりの現象が起こっていた。

 公園になる前の森では、自殺する人が多かった。もともと迷っている魂に、さそわれるように何人も死んだ。

 そして、癒されぬ魂の数はふえた。いくつもの白い影がよく目撃された。

 そのなかには影とはいえ、ひときわ高貴な女性の姿も見られた。

 オトタチバナ媛だと、人々は噂した。

 ほんとうは男性が生きて、この家で生活していたころから、現象は起こっていたのではないかと疑ってみる。

 もしも千年も昔に死んだ女性たちが原因なら、起こっていたと考えるほうが自然だろう。

 しかし、それを確認する方法は何もない。

 男性がいないいま尋ねることはできないし、日記もメモも、書いたものは何ひとつ残されていない。

 Yのこのユーチューブ動画には『怪談』と題された項目があり、そちらもとても興味深い。

『怪談』と名づけられてはいるものの、人を恐がらせる目的で存在しているとは、まったく思えない。テレビタレントがする怪談話とは質がちがう。

 Y自身の身内に関する事柄が、たんたんとした言葉で語られ、思わず引き込まれる。

 このなかにYの友人が登場する。年若い女性で沖縄出身である。

 祖母はユタだという。

 血筋のせいで彼女自身、ふつうの人には見えないものが見える。

 初めてYと会ったとき彼女は、ご実家は神社ですかと尋ねた。Yは意味がわからず否定し、ありふれたサラリーマン家庭と応える。

 彼女の目にはYについている、徳の高いものの姿が見えていたと、後日話す。

 そして、その徳の高さはふつうの人には、決してつかないレベルのものだという。彼女自身みたことがない。だから実家は神社かと尋ねたようだ。

 これを見たとき、私は確信した。

 死んだ男性は何も知らずに、この家で一生を終えたに違いない。いまの現象のようなことは、きっと1つも起こらなかった。

 ではなぜいま現象は起こるのか。

 答えは1つしかない。

 Yがいるから。彼がこの家に住んだから起こるようになったのである。

 彼女はこの家に数日滞在し、ノリトをあげた。見える彼女は、現象の原因は悪いものではないという。そのままそっと放置すれば、誰の害にもならない。声の底に怨みのようなものを感じるのは、動画を見る側の思いすごしのようだ。

 彼女はユタをして、生活しているわけではない。祖母はユタだが、占いやお払いなどの行為に金銭を要求することはない。彼女らの力は、神からたまたま授かったものであり、それを商売にしては決してならないと考えている。ある種、清々しさすら感じる。そういう彼女の言葉には真実があり、Yは疑いもなく信じている。

 そしてそれは正しい。

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